毎日の記録 Diary

2022年10月3日 那覇滞在

更新日:

10月3日(月)

天候:晴れ

距離:30km

絶景ロード:移動日(那覇市立歴史博物館、首里城、国際通り)

宮古島8時55分発の飛行機で那覇に戻った。鹿児島行きは明朝7時なので今日は一日自分のバイクで市内を見学。空港から首里城に直行すると、公園内のインフォメーションセンターで午後4時からガイドツアーがあることが判ったのでここで昼食を摂り、一旦市内へ戻った。

海藻を練り込んだ沖縄そば(小麦粉の麺)とスパムと豆腐のチャンプルー。

那覇市の歴史博物館は市役所に隣接する商業施設ビルの4階。琉球各地(各島)の祭りを紹介するビデオが面白かった。

展示品では、尚泰王の王冠や紅型(ビンガタ)の着物が綺麗だった。細密さの中にも、手作りによる装飾品の大きさや色の不揃いや、加工、縫製のばらつきが返って造った人の温かみを感じさせる。(中国の王朝に関連する工芸作品を見ると細密、精密が行き過ぎていて、製作者たちへの王朝権力からの抑圧を感じてしまい、好きではない。)

琉球は中国と日本のいいとこ取りを上手にしてきた国だと思った。

 

国際通りで土産の購入、発送手配を終えて再び首里城へ。施設内のフードコートでコーヒーを飲みながら時間調整の後、60分のガイドツアーへ。ボランティアかと思いきや千円だった。しかしその価値は十分にあったと思う。

ガイドの金城さんから、焼失した正殿の復興工事現場やそれを免れた遺産について細かく説明してもらえた。予習が奏功し、質疑も充実。気がつくと90分以上超過しての終了だった。

もう一人の見学者の女性は、今回はまるで二人のガイドさんに説明して頂いた様でラッキーでした、と言いながら帰って行かれました。

右は説明を聞くためのイヤホンを首から下げるためのポシェット。紅型がらの布を使った手作り。

 

守礼門は私と同じ年齢。ここが公園になる前にすでに再建されていた。戦後13年。日本の各地で復興の活動が始まった時期だった様だ。他にも本土の多くの城や仏閣がこの時期に再建され始めた様に思う。

     

焼け落ちた龍頭棟飾りと大龍柱。正殿の復旧にあと4年。他の建物は更にその先だ。

 

正殿の前庭に建てられた作業用の建屋には大型走行クレーンも設置されていて、私の見立てではこれだけできっと10億円。しかし台風銀座での復興にこれは必要な設備だと思った。

 

沖縄県立芸術大学が首里城に隣接している。復興には学生のボランティアが活躍してる様だ。


沖縄戦で破壊された首里城の跡地には、その5年後には米国の援助を受け琉球大学が開校した。その際の建築工事において、建築計画に加わった沖縄のメンバーは、正殿跡地には手をつけず、将来の再建を信じ、残っていた古い基礎を丁寧に土で覆いコンクリートで舗装し、その上に一切建築物は設けず、駐車場としての利用にとどめたそうだ。そのおかげで、現代の技術による発掘調査、解析、平成の大再建が可能となった事を教えてもらった。昭和25年、ここには過去を大切に思い、未来に希望を持って力を尽くした人がいたことをガイドの金城さんは声を大きくして説明されていた。

正殿焼失後の首里城に、今はあまり見るべきものは無いのでは、と思いつつ訪問したが、一般客は入れない再建現場にも案内してもらえ、遺産の大切さ大変さを学ぶ良い機会となった。

明日は鹿児島行きフェリー。早朝の出港だ。

以上

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