毎日の記録 Diary

2021年4月13日 移動日(佐賀県有田焼見学)

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4月13日(火) 

移動日(佐賀県有田焼見学)

168km

本日は佐賀市内のホテルで、別な用件で来ている家内と合流。私の奥さんは私からこれまでの楽しかった出来事をたっぷり聞かされた。

今日は雨なので、私は予定を変更し、平戸方面の絶景ロードを翌日に延期し有田周辺を訪ねた。途中のホームセンターで少し買い物。チェーンクリーナスプレーや靴底修理の接着剤等。チェーンを綺麗にしてあげたら気持ちも軽くなった。チェーンの張りは高知県で一度調整してからあまり伸びなくなった。面倒くさいがこまめな給油が良いようだ。タイヤの空気圧は2週間で全く減っていなかった。オイルも減っていない。4000km位は走っているはずだが。

 

 

 

有田市の「有田焼参考館」を見学。館内は丁寧に有田焼、伊万里焼、古九谷を時代ごとにサンプルを示しながら説明する、小さいが真面目な姿勢の博物館だった。好印象。昨日諫早の干潟で見つけた破片の写真を鑑定してもらう事にした。

 


この大きな磁器の破片、色鮮やかで新しい時代のものだとは思いつつ、丁寧な手書きの模様だったから写真に収めた。どうみても有田焼き。大きいので持ち帰れなかった。10cm×20cm位。この破片の写真を学芸員さん見て頂くと、なんと明治初期のものと断定。鮮やかな色は明治初期ドイツの技術を一時期入れたため。ほんの一時期だけの色の珍しいものだった。ゴットフリード・ワグネルさんが日本に導入したコバルト含有の絵具で、発色がとても鮮やか。しかし、使われたのはわずかな期間で、日本の焼き物には従来のくすんだ青色の方がマッチするとの考えで、この彩色技術は消えてしまったと説明して頂いた。思いのほか歴史的に価値のある破片であったことを知る。回収してこれず残念だった。

 

 


博物館に隣接する「泉山磁石場」は迫力の景観だった。これまでこの地域で焼いて来た磁器の土の採取場所。400年で山一つ全部削ってしまった跡地だ。(現在の有田焼の土は天草から)

 


有田焼の元祖は韓国からだ。この技術を広めた李さんの顕彰碑は立派な物だった。其の後長い期間を経て日本風のアレンジが進み、今に至っているそうだ。

 

今日は一日良い勉強が出来た。

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